自分と向き合い続けるのはしんどすぎる。けれども。
昨日、もう外見にとらわれるのはやめよう。
これから必要なのは私の心を育てること。そう思ったはずなのに。
昨日の夜彼氏が家にきて、おなかの私の脂肪をつまんだりするのはいつものことなのですが、やっぱりそれがすごい嫌なんです。彼氏はさわるのが好きなだけ、というのですが、私からしたらそれはデブって言われているのと同じ感覚なんですよね。
挙句の果てに昨日は節分ということもあり、恵方巻食べていたらここがなくなりますように、とか言われて本当に怒りを覚えました。
そりゃああなたにはわからないよ?痩せたくても痩せれない私の気持ちなんて。
でも、なんて言ったらいいのかよくわからなくて、それで私はしばらく彼氏を無視し続け、ようやく自分の気持ちを言いました。
私は触られるたびに、自分がでぶなんだって言われているようなきもちになる。それを今まで気にしないようにしてきたのに、そんなこと言われちゃったら悲しくなるよって。
彼氏は私がダイエットすっごく頑張っているの知ってるからお願いしたんじゃん、応援したくて。って真面目な顔して言ってきて。
今までこんなふうに接するひとがいなかったから、私ががりがりだとしても触るのか、それは本当にわからない。
でもでぶだなんて思ったことない。ちょっと痩せてはない、だけデブと思ったことはないよ、と言って。
なんか自分がそういうことでぐちぐち言っている自分自身にも嫌になるし、私が彼氏のその行動を嫌だといっても全くそれ自体に悪びれもせず、そうか~こまったね~なんて他人事みたいにふるまう彼氏にも嫌気がさして。
そして今日にいたるのです。
ああ、過食しそう。
そして今日、先輩に会う機会があって仕事の話をしていただけでしたがその先輩はすごくはきはきしていてかっこよかった。
正直にいってすっごいかわいいとかじゃない。けど自分の意見をはっきり言えて、自分に自信をもっている感じ。堂々としている先輩がすごくかっこよくて、ああ、その先輩みたく私ももっと自分の意見をはっきり言えるひとになれたらなって思いました。
よくよく考えてみると、私はいつもなにか彼氏にたいして不満を思っても、すぐに意見を言えないのです。黙ってしまう。そしてそのあとにようやく時間をおいてからぐちぐち言い出す。別に我慢してるとかじゃない、ただ言えないだけなんだってことに気づきました。
もっと自分の意見や感情を正直に言える人だったら楽に生きれるんじゃないか。
そのためにもっと自信をつけたい。
私はかわいくなりさえすれば、ひとめみて誰がみてもかわいいと思われるようなひとになれば自信をもてるんじゃないか、そうしたら自分の意見もはっきり言えるのではないかと思っていました。
でも、違う。
かわいくなってもその努力を認めて、口にだしてくれるひとなんてほんの一部でしょう。すると私はまた、どうしてかわいくなったはずなのに誰もなにもいわないの?なんて馬鹿げた考えに至って、また自信をなくすことでしょう。そしてここが悪いのか、どうしたらいいのかってずっとずっと幸せになれない、、
中学生のときに正直にいってかなりモテたのに、大学にはいってそんなに言われなくなったことが思いのほか自分の中でダメージになっているみたい。草。
中身を変える努力をしないと、自分の心を鍛えないと、いつまでたっても変われないです。
もっと自分に自信をもちたい。初対面の人ともっと堂々と話せるような人になりたい。
そのために考え方を変えなければいけない。
そうか
考え方を変えればいいんだ。
考え方が変われば、物事への向き合い方が変わる。ひととの付き合いかたが変わる。毎日の行動が変わる。生活が変わる。そして人生が変わる。
では、どう考え方を変えようか。いや、変えるというよりはアップデート。
自分の悪い考え方は消去して、いい考え方を取り入れる。
そのためにはやっぱり本であったり、あこがれの人や先人たちの意見を考え方を知ることですよね。
いろんな考え方を取り入れて、考えて、再構築。それが私の考え方となるはず。
いま、本当は授業休みのあいだ何か買いに行こうかななんて考えてしまいました。
でも、想像してみた。
例えばポテチとプリン買ってきて、また食べたとする。
でも「食べ終わって」しまう。
残されたのはおなかいっぱいの苦しさとまた食べてしまったという事実。
買う前のいまは、これから食べ物を口に入れることができる、それでいろんなことから逃げてそのあいだは考えることから逃げられるっていうわくわくを買えると思うけれど、
いつかは必ず食べ終わってしまうのです。
食べることは有限なの。私のおなかも。
食べても食べても私の自信はつかないの。もはや減っていくの。自暴自棄になるだけなの。
うん、わかってる。だから、コンビニには行かない。
でも有限ではないことがある。「終わってしまわない」ことがある。
それは知識欲だ。
もっといろんな生き方のひとを知りたいというこの欲を満たすことはなかなか難しくて、学んでも学んでも奥深くていろんなことを考えて、また勉強して、の繰り返し。
なかなか終わらない。
でもそれは食べ終わってしまったあとに感じるような「満たされない」とは違うでしょう?
過食しようとしてしまうとき、それは明らかに心のSOSです。
だから、そのときはブログ書いてじぶんの心と向き合ってみよう。
ああ、タイピングはやくてよかった。
今日はおなかがすいたら食べるけど、しばらくは大丈夫。
そのかわり、どんな本をこれから読もうか、調べるところから始めようかな。
脂肪組織は私の脳細胞には何も影響を与えない
最初のブログの記事にも書いた通り、わたしは承認欲求が強いように思います。
めちゃめちゃかわいくなりたい、と思ってしまう。芸能人みたいな、モデルみたいな。それなのに今の自分はモデルみたいなスタイルとはかけ離れすぎていて、今の自分のままではだめだ、変わらなければ。と思うのです。
実際、私の体型はおなかぽっこり、太もも太いけど足首は細い。顔も丸顔だけれど服を着ている限り一般的な体型だと思います。ちょっとぽっちゃり、くらい。そんなに食べてるのにどうして太らないの~とかかわいいとか言ってくれる友達もいる。
それなのに心の中で、いや、もっともっと自分かわいくなれるはずなの、伸びしろだらけのはずなの、、って思っているんです。
私のコンプレックスは服を脱いだ時、子供みたいな体型のままのこと。下着をつけてもちっともセクシーにならないこと。服で隠せても実は中身は太っている、ということが、まるで外見ばかりとりつくろって本当の部分が未熟である自分自身をうつしているように思えたのです。
私は大学受験を終えて一人暮らしをすることで自分自身と向き合う時間がかなり増えたように思います。
がむしゃらに努力した大学受験という経験はたしかに私はやればできるんだ、努力する才能があるんだという自信を与えてくれました。
そして大学生になった今、勉強はもちろんできる限りの努力はしています。ですがそれでもまだ時間がある。そこで今の自分はどうか?ということを無意識に考えるようになっていました。
かわいいと言ってくれる友達や彼氏がいるのに、自分自身では痩せないかぎりかわいいとは思えなくなっていました。
痩せさえすれば自分のことを認められる、もっと好きになれると思い、痩せたい欲求が増えれば増えるほど、なぜだかダイエットは難しくなっていきました。過食がはじまったのです。
私の、今の自分にいちばんたりていないのは痩せることであり真っ先にしなければいけないのはダイエット。ダイエットに成功しさえすれば理想の自分になれると思っていました。
でも、本当にそうなのでしょうか。
体重が減り、体脂肪が減り、そうしたら理想の自分になれるんでしょうか?質量がへっただけです。脂肪組織がなくなっただけです。中身はなにも変わらないのに?脳細胞のシナプスにダイエットは何も影響を与えないはずです。
私は大きな勘違いをしていたことに気づきました。
必要なのはダイエットではない。体型や外見に関わらず自分を認めてあげる気持ちを育てることだと。
だって、ダイエットってたかが脂肪組織の除去による質量の減少。それが私の今後の人生にどんな影響を及ぼすっていうんだ?
いま、すでに私のまわりには大切な家族がいて友達がいて、充実した環境、感謝してもしきれないほど大切な生活があるというのに。
いつの間にか上を目指すこと、向上心を常にもつことをはき違えていたように思います。
現状に満足していたら成長できない、といつも思っていました。それは正しい。向上心があってこその自分で、だからこそ毎日が楽しくなる。
でも
今の自分を認めてあげることも大事なのではないか?いつもいつも他人からの評価を気にして競ってきた。もっとすごいひとがいる、もっと賢いひとがいる、もっとかわいい人がいる。そしてそのひとと自分はどこが違う?どうすれば補える?どうすれば成長できる?
私の承認欲求の正体はいつも現状に満足せずに無意識に今の自分にストレスを与え続けるもっと自分はやれるはずだ、というプライドだったのです。
それがずーーーっとやめられない過食の正体でした。
研究室がストレスだと思っていたけれど、研究室がゆるくなってただたのしいだけになっても続く過食。勉強もさほどハードじゃなく、毎日なにもストレスを感じているように思えない、それなのにやめたいやめたいと思っているのに続いてしまう過食。過食がいちばんのストレスになっているのではないかというくらい、今の環境に私はストレスを感じていなかったのです。
だから過食の原因が今の自分を認められない自分自身なのだとしたら、それはとても理にかなっています。どんな生活、環境になろうと自分とはつねに一緒にいるんだもの。
いつかの滝沢カレンちゃんが記していた言葉。
「自分なんだから私が一番向き合い、自分なんだから私が守ってやるんだ」
自分が自分を攻撃してどうする。私が守らなきゃ。
今の私も悪くないよね。たかが脂肪。なにもダイエットしたところで他者との関係は変わりません。変わる人がいたとしても、大事なのは体型ではなく中身をみてくれる人との関係です。私が大事にしたいのはそういう友達や彼氏だよね?本当に大切なひととの関係は私の体型ごときでなにも影響はあたえないのです。だってだれも私の体型に興味ない、好きでいてくれるのは中身だって知ってるから。
ああ、そう思ったらすっきりした。たかが質量減少。脂肪除去。いまの私のままだっていいじゃない。
筋トレは楽しいからする。ストレッチも楽しいからする。毎日続けたら体にいいらしいからする。ごはんはおいしいものをおいしく食べる。今の私を大切にしてくれる人を私はもっと大切にする。そしてもっと心が豊かになれるように、経験の幅を広げるために、本を読んで勉強したい。
昨日とは真逆のことを書いているけれど、大切なのはこのマインド、心のもちようなのです。
「幸せはそのひとの心が決める」
これから生きていくなかで、とてもストレスを感じる環境におかれることもあるでしょう。しんどいこと、つらいこと、でもそのときになんのそのってなんとか上を向くことができ、そのなかでも幸せをみつけることができる心のありかた、打たれ強い、上向きの気持ちを持つ自分を育てることの方がずっと今しなければいけないことでした。
そしてそんな自分になるための毎日の生活を続けていたら、痩せたい痩せたいと願っていた私がどんなに願っても手に入れられなかった外見も手にいれられるんだと気づけました。
どうやったら痩せられるのか考えて考えて考えていた日々は決して手に入れられなかったのに、そこを切り捨てて自分の中身を磨く努力に変えたとたん、副産物として手に入る。皮肉なもんですね。
しなきゃいけないことはダイエットじゃない。今の私を好きになること。周りのひとを大切にすること。もっと中身が魅力的になるように、知識を増やせるように本を読んで勉強していろんなひととしゃべること!毎日おいしく感謝してごはんをいただくこと!
情報がありふれているいまの社会。いろんな価値観のひとがいろんなことを発信している。そのなかで私は自分の軸をもって、ぶれずに、まっすぐに生きたい。芯のある強くてこころの大きいひとに。そのためにやりたいことはたーくさんある!
どんな環境でもご機嫌にすごせる心を育てる。
そのための、反復、継続、丁寧を。準備の徹底をとことん。
最後に。北信介の言葉を心に刻もうと思います。
俺は大人に大賛成や。俺を構築するのは毎日の行動であって「結果」は副産物にすぎん。
過食おばけとの戦いその1
今日は過食から1週間で私の周期的に考えるとそろそろ過食おばけがやってくる頃なのです。
過食というのは怖いもので、それまでは野菜おいしー!タンパク質ー!なんて思ってても「え、もう暴食したいんだが」っていう過食フラグがたった瞬間、もう終わりなんですね。
ですが、この何か月かで奮闘した結果過食フラグから過食を実際にするまでの時間をどんどん長くすることに成功しました。
そして今試みているのが、その過食フラグがたってから過食までの時間をのばし、たいてい過食フラグがたつのは夜なのでその翌日のお昼などにもっていき、そこで食べすぎちゃったてへ、くらいの量にして、次の日に過食を持ち込ませないという試みです。
まずは今週はこれで試してみたいと思います。成功したらいいな、くらいの感覚で。
決めすぎるとそれが窮屈になりストレスになってしまうことも今までの経験から学びました。
そして昨日の夜のことです。普通のごはんの量を食べておなかいっぱい、さあ筋トレ半身浴ストレッチしよ~て思っていつもどおり過ごしていたそのとき!入浴後に過食モンスターの足音が聞こえました。
そこでまずは冷静に、そのときつくりおきの塩こうじマリネをつくっていたのでそれをすこしつまみ食い、ナッツも食べた、カカオ70%のチョコもひとつ。ここが勝負!ここで冷凍ご飯チンしだしたら今までの繰り返し。さっき2月の目標は過食ゼロとノートにでかでか書いたことが抑止力となり、インスタントのかぼちゃスープを飲みそこで寝ることに成功しました。いやーよかった!開幕戦は勝利。
けれど朝起きてからもそわそわしていてベーグルもいつもは1個なのに2個食べたしおかわりするしイチジクもなっつももりもり食べるし!?やばいやばい、と思った結果、朝ご飯で正直昼はおなかいっぱいだったので、コンビニに行って全部で600kcalくらいのお菓子を買っておいしくおいしくいただきました。ただのごほうび。笑
そしてそのあとはコーヒー飲みながら授業。そして今に至ります。
そしてそのあと普通にいつも通りのおなか具合(やや空いているくらい)になったら完全に今週は勝利なのでは???油断はできないけれども。
今回の教訓から得られたこと
〇なんとか過食フラグは昼に持ち込むべし
〇集中すると自然とおさまることが多い(授業すごい集中してた)
〇昼少ないと次の日に反動でがち(月曜すくなかった)
〇朝すくなめ<昼まあまあたべる>夜おなかすいてないから少なめ
がやっぱりあっている気がするな
現場からは以上です。
過食を克服して100日後に人生最高にかわいくなるオンナノコのはなし
かわいくなりたい。もっとかわいくなりたい。細くなりたい。痩せたい。華奢になりたい。ほっそいウエスト手に入れたい。すらっとした太ももになりたい。なめらかなラインを手に入れたい。ああ、なんとよくまみれなことか。これぞ煩悩とでもいうような。そんな煩悩まみれな女の子(ここはブログ。なんと表現したって個人の自由)がいました。
そんな女の子はある日気づきました。自分に足りないのは、、
徹底した管理と継続する力だ!!!!
と。
女の子は週に2回ほどしてしまう夜の過食にとても悩んでいました。非嘔吐過食です。摂食障害と診断されることでしょう、もし病院に行けば。
でも、女の子は過食にはとてもとても悩んでいましたが、毎日ご機嫌に過ごしているのです。普段の過食の波が襲ってこない日常はただご機嫌な毎日なのです。痩せたい、そのために筋トレもストレッチもする。かわいくなりたいからスキンケアだって入念に。それなのに一週間に1、2回の過食大魔王のせいで毎日の努力が無駄になってしまう、、
どうしたら克服できるのか?
そこで1か月簡単に自分のことを管理してみることにしました。
すると毎週火曜、水曜の研究室での疲れた夜+バイトの疲れがたまる日に過食してしまうことも見えてきました。
そして分析すればするほど
どうやったら過食を防げるのか?
ということに頭を悩ませるようになってしまいました。
でも、そんなことに頭を悩ませているのはもったいない!だってもっと本当はやりたいことたくさんあるしたくさん考えなきゃいけないことはほかに山ほどあるのです。
だから、ここのブログに(できるだけ)毎日自分の記録をしてここのブログに書く時間だけ過食と対峙することに決めました。
そしてブログを書くことで自分の生活に「管理」をするシステムを導入することにしたのです。
でもただ過食にあれこれ悩むのを記録したってつまんない。
そう考えた女の子はよくある胡散臭い作り話であるかのようにブログを記すことにきめました。作り話みたいな文章なのに生ぬるい現実のおはなし。ちょっと作家気取りになったっていいじゃない。本当は小さいころは作家になりたかったんだもの。
そして女の子は毎日過食にたいして思ったこと、今日何を自分はしたのか、どうやって過ごしたのかを作家気取りで書いていくことにしたのです。
ただ、丁寧に自分を見つめなおす時間が毎日あること。それは女の子がこれからどう生きるかの方位磁針の針の向きを定めるために大切な時間といつのまにかなっていったのです。
最初に女の子は思いました。このブログは人生最高にかわいくなるまでの100日間を記録した過食克服奮闘記にしようと。
でも女の子は気づきました。
ねえ、そのあとは?100日で私の伸びしろはとまるの?そのあとはキープ?
そんなわけはないのです。だって女の子の目的は過食と対峙することではなくて、過食と向き合ってそのあとに最高のスタイルを手に入れて、まずは自分の身体や外見を好きになるため。そして自己分析は外見だけではありません。勉強とたくさんの本を読んで内面を磨いて自分が理想とするかっこいい働く社会の一員になるためなのです。
これは
ある女の子が過食と向き合い、克服して最高のスタイルを手に入れて自分自身を好きになるまで、そしてどんな本を読んで何を感じたのか、どんな勉強をして何を思ったのか、足りない力は何か、今の自分に必要なものはなにか、自分ととことんむきあい、そして彼女が医師免許を無事に取得し、医師になるまでの時間がぎゅぎゅっとつまった物語です。
過食克服に関係のないことも書くと思います。医学に関することも、美容に関することも。投資の勉強もはじめたし、英語の勉強もこれからするつもりです。研究ももっと深めたい。ハイキューも読み直したい。アニメももっと見たい漫画も読みたい。そしてなにより、痩せたい。そしてめちゃめちゃ賢くなりたい。欲張りな女の子のありのままの姿をとくとご覧あれ。